旅先でふと見つけてちょっと寄ってみたりすることは、まあよくあることかと思います。
大して期待していなくて、行ってみるとそこがなかなか良かったりすると、ちょっと嬉しいですよね。
今回上越への旅は、もともと上杉謙信の居城であった春日山城址を訪ねに行ったのですが、
その途上で鮫ヶ尾というマイナー城址を発見。ついでだからと寄ってみました。
行ってみると、観光客はほとんどおらずとても静かな環境で、上の写真のような名もない
綺麗な池や本丸からの眺望など、自然あふれるとても気持ちの良いところでした。
お城にも様々な形がありますが、一般的にイメージするのは、江戸時代以降によく建てられた平城という
タイプで、戦闘拠点としての機能はほとんどなく、大名の権威を示すために都市部の中心にランドマーク
的に存在するものですよね。
しかし山城というタイプは、自然の要害を利用したまさに戦うためのお城で、その構造も戦闘のための基地
そのもの。よって建てられたのも全て戦国時代以前となります。
(写真の通りこの構造では、平和な時代には不便で無用なものですよね)
上杉謙信は、戦闘に当たっては天才的な能力を発揮しましたが、それはお城にも現れています。
春日山城は、山城としては日本屈指の規模と機能を誇ってましたし、その春日山城の前衛城である
鮫ヶ尾城も謙信が作ったもので、たいそうな規模の立派な山城でした。
以上、お城の講釈終わり!
最初にあった素敵な池を
過ぎると、道はつづら折に
登りだし、ほどなく写真の
ようないい感じの山道に
なりました。
本丸までは、池から往復
1時間程度とのこと。
ちょっとしたトレッキング気分。
しかし戦国時代は、この道を
「もののふ」たちが刀引っさげて
往来したのでしょう。
本丸へは20分ほどで到着。
眺望は素晴らしく、ご覧の通り上越市が一望。
戦国時代なら、軍勢の動きがここから手に取るようにわかったのでしょう。
本丸脇の米倉跡にて。
ここから焼けたおにぎり
が出土したのですが、
それは430年前、上杉景勝に
追われた三郎景虎が、ここで
自刃した時に、食べていた
おにぎりとのことです。
その際この山城は火責めに
かけられ、米倉にあった
食糧も焼けました。
この山城はそれ以来
使われていません。
後から知ったのですが、
ここの土からは、未だ
焼けて炭化した米粒が
普通に出てくるとのこと。
持ってきた水を、景虎を
弔う石碑にかけました。
信頼していた家臣にも
裏切られ、さぞや無念
だったことでしょう。
合掌。
「つはものどもが」…って感じのところですかね。
眺望は良さそうですが、ちょいと寂しげです…。
一枚目の写真は、以前御紹介の、東山魁夷の
絵のモデルになった池に似てますね。
それにしても、ケロボウズさんは城にもお詳しいんですね!
城マニアなんでしょうか?
投稿情報: 寅次郎 | 2009/06/05 21:47
寅さん、どうもです。
確かにどことなく無常観が漂い、はかなげでありました。
入り口にある池は静かでとても気持ちのよい場所でしたよ。
各地を旅すると、あらためて○○城址といった史跡の多さに気づきますね。
昔はホントお城だらけだったんですね。
群馬にも興味ある山城があります。
あの真田氏の居城でもあった、吾妻にある岩櫃城です。
観光地と化している上田城址などと比べると、まったく持って
注目度ゼロの城跡です。それだけに無常観満点ですよ。
投稿情報: kerokerobouzu | 2009/06/06 04:22